はじめまして、ささみです!
私のWEBサイトを覗いてくださりありがとうございます!
ここでは私の自己紹介をさせていただきます。
私が歩んできた人生と、副業(WEBマーケティング)を始めるに至ったきっかけや経緯についてもお話ししていきたいと思います。
幼少期〜中学生時代:自営業のリスクを知る
私は、東京の中では田舎の方のごく一般家庭に生まれました。
父は家で酒屋を経営し、母はパート勤務、父方の母親と2歳上の姉と私の5人暮らしでした。
自営業だっため、毎日いつでも家族と一緒に過ごせる点は、幸せだったと思います。
一方で、母の口癖はこうでした。
「うちは貧乏だから」「贅沢はできないの」
私は、そうなんだと思い込んでいました。
実際にお金に困るギリギリの生活をしていたわけではありませんが、子供ながらに、お金は大切なものという認識を持ち、もらったお年玉も使わずに貯める習慣がついていました。
私が中学生に上がるころ、コンビニでお酒を販売できるようになったこともあり、酒屋の経営があまりうまくいかず、店を畳むことになりました。
父方の祖父の代から経営していた酒屋だったので、父がとても悲しそうにしていたのを覚えています。
その後、父はタクシードライバーとして働き始め、無口な性格が功を総じて、長年その仕事を続けていました。
このことをきっかけに、自営業って難しいんだな。サラリーマンの方が楽そうだ、と思うようになりました。
高校生〜大学生時代:私を変えたのは予備校の先生
ずっと貧乏だと思い込んでいた私は、節約生活を送っていました。
お昼の購買ではパンを1個だけ購入してそれだけで夕飯まで過ごしたり、家からお茶を持って行って節約していました。
友人から「ドケチ」というあだ名をつけられながらも、優しい友人に恵まれ、本当に楽しい学生生活を送っていたのを覚えています。
大学受験の時期になり、真面目に授業を受けてこなかった私はかなり焦りました。
サラリーマンとして安定した生活をするためにも、勉強をしていい大学に行かなくては!!
といっても学校の成績は中の下。
推薦高の枠は1つもありませんでした。
予備校に通い始めて私を変えたのは、ユニークな先生陣でした。
ある先生はスケスケあみあみのシャツを着てきて授業に集中できないくらい笑わせてくれました。
見た目のインパクトもそうですが、授業の中身が素晴らしく、勉強することの面白さを教えてくれました。
先生たちの個性と人柄に魅力を感じた私は、いつも1番前の席で授業を受け、授業後は質問をしに行き、めきめきと成績を上げていきました。
結果、一般受験で希望していたMARCHクラスの大学に合格することができました。
大学受験成功を振り返ると、予備校の先生たちとの出会いと、両親の予備校代と大学受験費用のサポートはとても大きかったと思います。
長い人生を生きていく上で、「知識をつけることの大切さ」と「知ることの楽しさ」、そして「必要な時にお金があることの大切さ」をここで学んだ気がします。
大学に入ると、貧乏になりたくない一心で、バイトをしまくりました。
週5〜6でバイトをし、多い時は月30万円を稼ぐこともありました。
当時の私の趣味は、バイトのスケジュール管理と通帳記帳でした。笑
就職活動の時期になり、私は小さい頃の経験から、絶対にサラリーマンになると決めていました。
目標は、安定している大手の会社で、若いうちからたくさん稼げるところ。
就職氷河期初期の就活はとても大変でしたが、なんとか大手のメーカーに内定をもらうことができました。
新社会人〜27歳:激務の始まりと身体からのSOS
男性の多い営業職で全国転勤があったため、最初の配属先は新潟県でした。
初めての一人暮らしにウキウキしているのも束の間、厳しい現実が待っていました。
「きみ、出禁ね。もう来なくていいから。」
容量が良い方ではなかった私は、ミスを連発し、得意先から始めて出禁を言い渡されました。
やばい・・・。でもせっかく頑張って入ったから辞めたくない・・・。
悔しかった私は、朝一番に出社し、夜は一番最後に帰り、土日のどちらかは出社して仕事をするという生活を3年間続けました。
22時に帰れたら早い方で、遅い時は帰宅時間が3時になることもありました。
段々と努力が社内外に認められ、私の営業活動が評価されて、社内の全国放送で成果を紹介する機会もいただけるようになりました。
がむしゃらに働き続けた結果、ブランド物も買えるようになり、「脱貧乏」を達成しました。
やっぱり、忙しくてもサラリーマンで稼ぐことを選んで正解だったと思うようになりました。
27歳になり、毎日仕事で忙しくしていたある日、1ヶ月ほど不正出血が続き、婦人科に診てもらったところ、「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」と診断されました。
「たのうほう・・卵巣?・・・ん???」
初めて聞く診断名で頭が真っ白になりました。
身体からのSOSのサインの始まりでした。
同時に、新人の指導係を任されるようになりましたが、これがあまりうまくいかず、自分の仕事の忙しさに加えてうまくいかない後輩の指導とでストレスが溜まり、一気に白髪が生えてしまいました。
今まで自分は健康だと思って過ごしてきましたが、突如身体も心もボロボロになり、お風呂に入るのもしんどいと思うくらい、生活にも支障をきたすようになってしまいました。
このままでは自分がダメになるとわかったため、サラリーマンは辞めたくなかったですが、会社を辞める決意をしました。
上司に相談したところ、退職を引き留められ、東京での転勤先を見つけてくれることになりました。
2〜3ヶ月後、運よく東京での空きが出たため、私は会社を辞めることなく、東京に転勤できることになりました。
サラリーマンとしてお金に困ることなく安定して暮らしていましたが、あまりのハードワークに身体が悲鳴を上げてしまい、自分が健康でないと生活も働くこともままならないため、自分の身体とも向き合う機会になりました
28歳〜34歳:上司のパワハラと会社への不信感
東京に転勤後、仕事内容もがらりと変わり、営業から一般事務になりました。
以前に比べて拘束時間も短くなり、身体も元気になりましたが、次は職場環境と人間関係に悩むことになりました。
当時一番辛かったのは上司のパワハラでした。
上司は自分の考えが一番正しいと思っていて、圧力でマインドコントロールをしようとしてくる性格で、ある時は1:1で3時間ひたすら人格否定をされ続けました。
他にもその上司からのパワハラで困っている人(ある人は7時間説教をされる)もいたため、私は会社のコンプライアンス部に相談しました。
「上司はそんな人じゃないと思うな。ささみさんの接し方を変えてみたら?」
結果は最悪でした。
コンプライアンス部はその上司と私とどっちが会社にとって必要かを天秤にかけ、その上司を選んだのです。
当時の私は証拠も特に集めていなかったため、何の解決にもならず、コンプライアンス部は会社を守るためにあって社員を守るところではないことを知りました。(私の会社だけかもしれませんが)
サラリーマンは安定して毎月給料がもらえるけれど、職場環境に問題がある場合、ずっと働き続けるのは難しい、と思うようになりました。
35歳:初めての妊娠とお金事情
ある日、激しい眠気を感じることが増え、検査をしてみると妊娠していることがわかりました。
全く想定していなかったため同棲中の相方と2人して驚きましたが、同時に色々調べていくうちに、妊娠・出産には、とてもお金がかかる事を知りました。
妊婦健診、無痛分娩費用・・・都内の病院だと100万円!?
生活費だけでなく今後の養育費など、一体いくら必要なのかわからなくなり、将来に対して漠然と不安になりました。
私と相方の収入で、死ぬまで安心して暮らせるのか?
同時に、以前から悩んでいた働き方や健康についても考えるようになりました。
今から定年までの30年間、週5日8時間勤務を続けられるのか?
人間関係に悩んで鬱になったりしないだろうか?
昨今、副業がよく言われるようになり、私もやってみたい!と思いましたが、何のスキルもありませんでした。
そんな時に、たまたま私がフォローしていた企業からの案内で、WEBマーケティングスクールがあることを知りました。
WEBマーケティングについての知識は0でしたが、講師の方の実績やお話を聞いて、講師の方のこれまでの人生と現在のライフワークにとても魅力を感じました。
ふと、大学受験時代に崇拝していた予備校の先生のことを思い出しました。
あの時と同じように、また知識が増えることの楽しさを経験できるかもしれない。
もう一度、自分が変われるかもしれない。
相方の許可を得て、私はWEBマーケティングスクールに申し込みました。
未来の家族との生活のためにも、また、自分を変えるためにも、自己投資することに決めたのです。
将来への不安(お金・働き方・健康)を解消するために、WEBマーケティングを学んで、副業で稼ぐことを決意しました。
このブログを読んでくださっている皆さんも、私と同じように、将来のお金や働き方、健康に対する不安を感じたことがあるのではないでしょうか。
私は、サラリーマンをしながらWEBマーケティングを学んで、副業で月20万円を稼ぎ、資産運用を勉強・トライしながら40代でセミリタイアすることを目指しています。
セミリタイア:会社を早期退職した後、自由な時間を確保しながら生活に必要な分だけ仕事をするライフスタイルのこと
副業で月20万稼ぎ、資産運用と貯蓄分を合わせてある程度の資金を確保することができれば、早期退職して自分の好きな仕事だけして生活をするということが実現できると考えています。
そのためには、課題もあります。
資産運用をするためには、毎月一定金額の資産を生み出さないといけません。
子供が小さいうちは、時短勤務や保育園の早退などで会社を休まないといけないような状況が起きるため、普通に会社員として働くことが難しい場合があります。
そんな時、在宅で稼げるスキルがあることは、とても大きなアドバンテージになります。
そのスキルとして、私はWebマーケティングを選びました。
私は、その基軸をブログに書き綴って、私と同じような悩みを抱えている人に対して、理想の未来を届けるべく、わかりやすくて有益な情報を発信していけたらと思っています。
このWebサイトに向けた想い(コンセプト)については、こちらをご覧いただければと思います
少しでも興味を持ってもらえましたら、私のサイトを見にきてくれると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!